http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/6365803.stm(※今日の記事は大事だと思うので全訳します。頑張ります。括弧内は訳者、というか僕による注です。)
第二次世界他戦中に、ギリシアで最悪の大虐殺を被った村が、ドイツに賠償を求めた訴訟において敗訴しました。 欧州司法裁判所はカラブリタの主張を退けました。そこでは1943年にドイツ兵によって少なくとも670人の男性や少年が殺害されました。
この判決は(ドイツに)補償を求めている他のコミュニティにもショックを与えています。
しかし戦争中にほとんどの住民が殺害されたサロニカ(テッサロニキ)のユダヤ人コミュニティはその法的戦いを続けています。
ドイツ側はこれまで常に、ギリシアに対する補償は、1960年に戦後補償として1億1500万マルクが支払われた条約によって決着が付いていると説明してきました。
しかしドイツの暴力行為の生存者たちはそれを最終的な解決として決して受け入れていません。
黒い喪服に身を包んだ年長の未亡人であふれるペロポネソス半島の山村、カラブリタは、1943年の残虐行為に対して完全に正当とみなされるものを数十年来、断固として引き出そうとしてきました。
(カラブリタを)占領中のドイツ国防軍は、ギリシア人レジスタンスの攻撃に対する復讐として、その処刑を行いました。
しかしブラッセル条約(いつの条約を指すのか不明)が非戦闘員を巻き込む武装対立に対するドイツの免疫を取り去ってしまったという彼らの主張をヨーロッパの最高裁が否定した今、カラブリタの法的選択肢は尽きたように見えます。
この判決によって、1944年に213人以上の村の男性が殺害された、ギリシア中部のDistomoは失望するでしょう。
しかしサロニカ(テッサロニキ)のユダヤ人コミュニティの代表、David Saltielは、ドイツに対して彼らが4億ユーロの補償金を求める訴訟の根拠はカラブリタの訴訟とは大きく異なると述べています。
彼らはドイツにおける、あるいは必要ならばヨーロッパ法廷での法的行動を進めると話しています。
1942年、ドイツ軍はサロニカで一万人を奴隷労働者として集め、ユダヤ人コミュニティは彼らの解放を確保するために、賄賂としての財産を調達する事を強いられました。
歴史家たちによって(その賄賂に関する)元の小切手が発見され、それによって強奪が起こったことが証明されると彼らは主張しています。彼らは65年分の利子と共に、その金額が完全に払い戻されることを求めています。
[コメント]
日本のケースに非常によく似ている、ということをまず感じました。次のエントリでも書く予定ですが、実際今になって世界のいろいろなところで、第二次世界大戦中の行為に対するリアクションが起こっているようなのです。
しかしサロニカでの訴訟では、65年分の利子まで求めているんですね。少なくとも利子の分に関しては、ユダヤ人の主張が通るとは考えにくいのですが・・・。率直に言って、この手の主張で莫大な金額を要求するのはなんとも胡散臭いです。
そのお金は誰に払われるのか?また誰が払うのか?いや、これに関しては当然ドイツの税収から払われるわけですが、今その税金を払っているのは果たして誰なんでしょうか。もちろん「生粋の」ドイツ人が多いことは確かですが、ドイツではトルコなどの途上国からの移民も増えています。また当然ギリシア人とのハーフ、クオーターもいるでしょうし、ユダヤ人とのハーフ、クオーターもいるでしょう。一体彼らにどんな責任があって、その賠償金のために税金を払わなければいけないのか?それらが僕には、どうしても見えてこないのです。
posted by 心太 at 23:54| ☀|
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BBC News
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