こないだからいい訳くさいですが、本当に。
2007年03月30日
なんか
体調を崩してしまい更新できていません・・・
こないだからいい訳くさいですが、本当に。
こないだからいい訳くさいですが、本当に。
2007年03月25日
復帰
モデムが壊れたりプロバイダ変えたりしたのでしばらくネットがつながっていませんでした。明日から更新再開します。
2007年03月09日
いくつかのエントリのフォロー
1月27日のエントリ、Japan shrine 'to review display'に関して。
まずお詫びしなければならないのですが、靖国神社側の言い分を全く調べないままにエントリを書いてしまいました。
エントリを書いたあとに調べたのですが(そして調べた時点で追記すればよかったのですが)、この展示の見直しに関して靖国側の言い分は、「これまでの展示の、分かりづらかった部分の補強であり、趣旨の変更ではない」といった内容でした。(当時は靖国神社のHPからリンクが貼られていたのですが、今は消えてしまっているようです。)
こちらのブログの記事を読んでいただければ、展示の変更の趣旨が良く分かるかと思います。アメリカの意見に沿うように、展示が見直されたわけではなさそうなことが分かります。
2月20日のエントリ、再び捕鯨関連の記事二つに関して
その後日新丸はエンジンを再始動させ、自力で航行を始めたようです。やはり日本側の主張が正しかったようです。グリーンピースはやはり、「反捕鯨環境団体の船が捕鯨船を救った」という既成事実を作っておきたかったのでしょう。ちなみにニュージーランドは、反捕鯨国の筆頭だそうです。日本ではなくむしろニュージーランドとグリーンピースの方に、政治ゲームを演じる意図が見えます。
最後に3月7日のエントリ、Estonia split over WWII memorialに関して
電子投票も行われた議会選では、首相(銅像撤去賛成派)の党が勝利したようです。先の法案に関しては、今後どうなっていくのでしょうか。
まずお詫びしなければならないのですが、靖国神社側の言い分を全く調べないままにエントリを書いてしまいました。
エントリを書いたあとに調べたのですが(そして調べた時点で追記すればよかったのですが)、この展示の見直しに関して靖国側の言い分は、「これまでの展示の、分かりづらかった部分の補強であり、趣旨の変更ではない」といった内容でした。(当時は靖国神社のHPからリンクが貼られていたのですが、今は消えてしまっているようです。)
こちらのブログの記事を読んでいただければ、展示の変更の趣旨が良く分かるかと思います。アメリカの意見に沿うように、展示が見直されたわけではなさそうなことが分かります。
2月20日のエントリ、再び捕鯨関連の記事二つに関して
その後日新丸はエンジンを再始動させ、自力で航行を始めたようです。やはり日本側の主張が正しかったようです。グリーンピースはやはり、「反捕鯨環境団体の船が捕鯨船を救った」という既成事実を作っておきたかったのでしょう。ちなみにニュージーランドは、反捕鯨国の筆頭だそうです。日本ではなくむしろニュージーランドとグリーンピースの方に、政治ゲームを演じる意図が見えます。
最後に3月7日のエントリ、Estonia split over WWII memorialに関して
電子投票も行われた議会選では、首相(銅像撤去賛成派)の党が勝利したようです。先の法案に関しては、今後どうなっていくのでしょうか。
2007年03月08日
2007年03月07日
Estonia split over WWII memorial
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/6364399.stm
エストニアで、ソヴィエト時代の戦争記念碑等を取り去るための法律が大統領によって違憲として拒否されたそうです。
この件に関しては、エストニア系エストニア人と、人口の三分の一を占めるロシア系エストニア人との間で対立が見られるようです。
特にナチスへの勝利を称えている銅の兵士像は象徴的となっており、エストニア系活動家とロシア系活動家がこの像の前で衝突を起こしたりもしていたようです。
この法律が成立すればロシアとエストニアの関係悪化も懸念されています(実際にロシア外相はこの法案に不快感を示している模様)が、首相(エストニアは大統領と首相が共に存在する半大統領制)はこの法律に賛成のようです。
[コメント]
この件に関しても、日韓で似たような問題があったと思います。
しかしここで注目したいのは、法案を拒否した大統領はスウェーデンで生まれアメリカで育った、エストニア系ともロシア系ともいえない人物であるということです。確かに私の意見としても、ソヴィエトの支配を賛美するモニュメント(とはいえ、ソヴィエト時代に作られたモニュメントの大半が「賛美」と判断されるはず)の展示を禁止する法案などを、ロシアとの関係を悪化させてまで成立させるのは極端であるように思います。
とはいえ、こうした極端に見える動きが世界のいろいろなところで、そして特に第二次世界大戦中の物事に関して、起こっているのは事実でしょう。対戦中の対立が、現在になって人々にとってより深い、大きな意味を持つようになってきているのです。
ちなみにこの件とは全く無関係なのですが、エストニアでは最近世界初の議会選での電子投票が行われたのですね。スカイプもエストニアで開発されたそうで、IT先進国なようです。
エストニアで、ソヴィエト時代の戦争記念碑等を取り去るための法律が大統領によって違憲として拒否されたそうです。
この件に関しては、エストニア系エストニア人と、人口の三分の一を占めるロシア系エストニア人との間で対立が見られるようです。
特にナチスへの勝利を称えている銅の兵士像は象徴的となっており、エストニア系活動家とロシア系活動家がこの像の前で衝突を起こしたりもしていたようです。
この法律が成立すればロシアとエストニアの関係悪化も懸念されています(実際にロシア外相はこの法案に不快感を示している模様)が、首相(エストニアは大統領と首相が共に存在する半大統領制)はこの法律に賛成のようです。
[コメント]
この件に関しても、日韓で似たような問題があったと思います。
しかしここで注目したいのは、法案を拒否した大統領はスウェーデンで生まれアメリカで育った、エストニア系ともロシア系ともいえない人物であるということです。確かに私の意見としても、ソヴィエトの支配を賛美するモニュメント(とはいえ、ソヴィエト時代に作られたモニュメントの大半が「賛美」と判断されるはず)の展示を禁止する法案などを、ロシアとの関係を悪化させてまで成立させるのは極端であるように思います。
とはいえ、こうした極端に見える動きが世界のいろいろなところで、そして特に第二次世界大戦中の物事に関して、起こっているのは事実でしょう。対戦中の対立が、現在になって人々にとってより深い、大きな意味を持つようになってきているのです。
ちなみにこの件とは全く無関係なのですが、エストニアでは最近世界初の議会選での電子投票が行われたのですね。スカイプもエストニアで開発されたそうで、IT先進国なようです。
2007年03月04日
Court dismisses Greek WWII case
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/6365803.stm
(※今日の記事は大事だと思うので全訳します。頑張ります。括弧内は訳者、というか僕による注です。)
第二次世界他戦中に、ギリシアで最悪の大虐殺を被った村が、ドイツに賠償を求めた訴訟において敗訴しました。
欧州司法裁判所はカラブリタの主張を退けました。そこでは1943年にドイツ兵によって少なくとも670人の男性や少年が殺害されました。
この判決は(ドイツに)補償を求めている他のコミュニティにもショックを与えています。
しかし戦争中にほとんどの住民が殺害されたサロニカ(テッサロニキ)のユダヤ人コミュニティはその法的戦いを続けています。
ドイツ側はこれまで常に、ギリシアに対する補償は、1960年に戦後補償として1億1500万マルクが支払われた条約によって決着が付いていると説明してきました。
しかしドイツの暴力行為の生存者たちはそれを最終的な解決として決して受け入れていません。
黒い喪服に身を包んだ年長の未亡人であふれるペロポネソス半島の山村、カラブリタは、1943年の残虐行為に対して完全に正当とみなされるものを数十年来、断固として引き出そうとしてきました。
(カラブリタを)占領中のドイツ国防軍は、ギリシア人レジスタンスの攻撃に対する復讐として、その処刑を行いました。
しかしブラッセル条約(いつの条約を指すのか不明)が非戦闘員を巻き込む武装対立に対するドイツの免疫を取り去ってしまったという彼らの主張をヨーロッパの最高裁が否定した今、カラブリタの法的選択肢は尽きたように見えます。
この判決によって、1944年に213人以上の村の男性が殺害された、ギリシア中部のDistomoは失望するでしょう。
しかしサロニカ(テッサロニキ)のユダヤ人コミュニティの代表、David Saltielは、ドイツに対して彼らが4億ユーロの補償金を求める訴訟の根拠はカラブリタの訴訟とは大きく異なると述べています。
彼らはドイツにおける、あるいは必要ならばヨーロッパ法廷での法的行動を進めると話しています。
1942年、ドイツ軍はサロニカで一万人を奴隷労働者として集め、ユダヤ人コミュニティは彼らの解放を確保するために、賄賂としての財産を調達する事を強いられました。
歴史家たちによって(その賄賂に関する)元の小切手が発見され、それによって強奪が起こったことが証明されると彼らは主張しています。彼らは65年分の利子と共に、その金額が完全に払い戻されることを求めています。
[コメント]
日本のケースに非常によく似ている、ということをまず感じました。次のエントリでも書く予定ですが、実際今になって世界のいろいろなところで、第二次世界大戦中の行為に対するリアクションが起こっているようなのです。
しかしサロニカでの訴訟では、65年分の利子まで求めているんですね。少なくとも利子の分に関しては、ユダヤ人の主張が通るとは考えにくいのですが・・・。率直に言って、この手の主張で莫大な金額を要求するのはなんとも胡散臭いです。
そのお金は誰に払われるのか?また誰が払うのか?いや、これに関しては当然ドイツの税収から払われるわけですが、今その税金を払っているのは果たして誰なんでしょうか。もちろん「生粋の」ドイツ人が多いことは確かですが、ドイツではトルコなどの途上国からの移民も増えています。また当然ギリシア人とのハーフ、クオーターもいるでしょうし、ユダヤ人とのハーフ、クオーターもいるでしょう。一体彼らにどんな責任があって、その賠償金のために税金を払わなければいけないのか?それらが僕には、どうしても見えてこないのです。
(※今日の記事は大事だと思うので全訳します。頑張ります。括弧内は訳者、というか僕による注です。)
第二次世界他戦中に、ギリシアで最悪の大虐殺を被った村が、ドイツに賠償を求めた訴訟において敗訴しました。
欧州司法裁判所はカラブリタの主張を退けました。そこでは1943年にドイツ兵によって少なくとも670人の男性や少年が殺害されました。
この判決は(ドイツに)補償を求めている他のコミュニティにもショックを与えています。
しかし戦争中にほとんどの住民が殺害されたサロニカ(テッサロニキ)のユダヤ人コミュニティはその法的戦いを続けています。
ドイツ側はこれまで常に、ギリシアに対する補償は、1960年に戦後補償として1億1500万マルクが支払われた条約によって決着が付いていると説明してきました。
しかしドイツの暴力行為の生存者たちはそれを最終的な解決として決して受け入れていません。
黒い喪服に身を包んだ年長の未亡人であふれるペロポネソス半島の山村、カラブリタは、1943年の残虐行為に対して完全に正当とみなされるものを数十年来、断固として引き出そうとしてきました。
(カラブリタを)占領中のドイツ国防軍は、ギリシア人レジスタンスの攻撃に対する復讐として、その処刑を行いました。
しかしブラッセル条約(いつの条約を指すのか不明)が非戦闘員を巻き込む武装対立に対するドイツの免疫を取り去ってしまったという彼らの主張をヨーロッパの最高裁が否定した今、カラブリタの法的選択肢は尽きたように見えます。
この判決によって、1944年に213人以上の村の男性が殺害された、ギリシア中部のDistomoは失望するでしょう。
しかしサロニカ(テッサロニキ)のユダヤ人コミュニティの代表、David Saltielは、ドイツに対して彼らが4億ユーロの補償金を求める訴訟の根拠はカラブリタの訴訟とは大きく異なると述べています。
彼らはドイツにおける、あるいは必要ならばヨーロッパ法廷での法的行動を進めると話しています。
1942年、ドイツ軍はサロニカで一万人を奴隷労働者として集め、ユダヤ人コミュニティは彼らの解放を確保するために、賄賂としての財産を調達する事を強いられました。
歴史家たちによって(その賄賂に関する)元の小切手が発見され、それによって強奪が起こったことが証明されると彼らは主張しています。彼らは65年分の利子と共に、その金額が完全に払い戻されることを求めています。
[コメント]
日本のケースに非常によく似ている、ということをまず感じました。次のエントリでも書く予定ですが、実際今になって世界のいろいろなところで、第二次世界大戦中の行為に対するリアクションが起こっているようなのです。
しかしサロニカでの訴訟では、65年分の利子まで求めているんですね。少なくとも利子の分に関しては、ユダヤ人の主張が通るとは考えにくいのですが・・・。率直に言って、この手の主張で莫大な金額を要求するのはなんとも胡散臭いです。
そのお金は誰に払われるのか?また誰が払うのか?いや、これに関しては当然ドイツの税収から払われるわけですが、今その税金を払っているのは果たして誰なんでしょうか。もちろん「生粋の」ドイツ人が多いことは確かですが、ドイツではトルコなどの途上国からの移民も増えています。また当然ギリシア人とのハーフ、クオーターもいるでしょうし、ユダヤ人とのハーフ、クオーターもいるでしょう。一体彼らにどんな責任があって、その賠償金のために税金を払わなければいけないのか?それらが僕には、どうしても見えてこないのです。